博士課程学生になって変わった意識とか

こんにちは。
この記事はねおりん Advent Calendar 2020の18日目のために書いています。
先日はナナメさんの最高の記事でした。最高。

明太子熊って名前でネットにポエムを垂れ流しています。
東京なんとか大学で博士課程学生をやってます。D2です。
ねおさんとは友人の@shelf703経由でお知り合いさせていただいてます。

去年のアドベントカレンダーではChainerというツールの開発が終了した件について、いろいろなエモを垂れ流しました。
今年もやっていきましょう。

書くこと

修士課程の時に比べて、博士課程の学生になって自分が変わったなと思う点がいくつかあります。
今回はそれについて書こうと思います。

いわゆる一般的な大学である学部を卒業して、修士を卒業して、その次に博士課程があります。
私は学士と修士をそれぞれ別々の大学で取っていて、さらに現在所属してる博士課程もまた別の大学に通っています。
つまり、今いる大学で三つ目ということです。
一か所にとどまるのが苦手な性格です。

あと、今は情報系分野の人工知能に関する研究をしてますが、学部では英語教育とか言語学とか、いわゆる文系分野でぼーっと過ごしてました。
そんなわけで、ザ・研究という感じの世界に足を踏み入れたのは修士課程からで、なんだかんだで今年で四年目です。
修士課程では右も左もわからず流れに身を任せるだけだった自分も、博士二年にもなるとある程度分野のこととか、研究のこととかが分かってきた気がします。

まだギリギリ修士時代の自分の気持ちを覚えてるので、忘れないうちにポエムとして書き残そうと思います。
普段こういうことはブログに書かないのですが(もっぱら週間記録をつけてるので、そちらも御贔屓に…)、年に一回のアドベントカレンダーでは書いていいことにしてるので、場を提供していただけるのはありがたいことです。

博士課程の学生って何してるの?

何してるんでしょうね。
基本的な目標は論文を書いて発表することで、そこに至るまでの作業工程をスモールステップに切り刻んで日々淡々とこなしています。
具体的には論文を読んだり、思いついた手法をプログラムに落として実験したり、うまくいったとかうまくいかないとかを研究室の人たちと議論したり、うまくいったら論文を書いたり、発表を準備したり、発表したり、たまに授業を受けたり。
まあ作業時間の半分くらいは実験のためのプログラムを書いたり、デバッグしたり、実験結果をまとめたりしてます。

私は人工知能関係の研究をしてるので、いろいろプログラムを書いたり壊したりくっつけたりして、いわゆるAIの一部分の性能が上がるような手法をあれこれ考えてます。
夜は二時くらいに寝て朝は九時に起きます。
コロナ禍なので研究室には週三日だけ行ってます。

博士課程学生になって変わったこと

本題。
私が修士課程の時と比べて、博士課程学生になって変わったなと思う点を5つ書きます。

1. 批判を受け入れられるようになった

研究を進めていくうえで、様々な人たちと議論をする必要があります。
自分よりも経験を積んでいる教員・先輩はもちろん、自分と同じ目線で戦っている学生たちとも意見を交換することで、研究がより良いものになります。
議論をするためには、自分のアイディアや実際の作業内容、得られた実験結果を相手に見せなければいけません。
そして、その成果物に対して批判をもらって、それをもとに修正や方向転換をして前に進んでいくことになります。

この批判を受けるというのが、誰にとっても慣れるのに時間がかかる部分だと思います。
自分自身、修士課程で研究を指導してもらっていた先生とミーティングをするたびに、自分のアイディアを説明しては穴を指摘され、実験しては欠陥を撃ち抜かれ、分析をしては詰めの甘さを見せつけられと、心にダメージを負っていました。
これはよく言われることですが、研究に対する批判は研究に対するものであって、決して自分に対する批判ではないです。
ただ、分かってはいてもこの二つを切り分けるのは難しくて、慣れるのに時間がかかりました。

研究の終盤には、論文を査読付き会議に投稿してレビューを受けます。
これは、自分が投稿した論文に点数をつけてもらって、会議で発表しても良い(採択)かダメ(却下)かを判定してもらうものです。
当然、レビューの内容は批判的になることが多くて、自信満々に送り出した原稿がボロクソに言われて戻ってくることも珍しくありません。

ほかにも、学振といって研究費や生活費を国から支援してもらえるシステムがあって、自分の研究計画を書いて申請すると点数と採択可否が返ってくるものもあります。
こちらは細かい批判はされませんが、質が低かったり面白くなさそうな研究計画を送ると低い点数をつけられて却下されます。

研究を進めていくうえで、こういう批判とか、自分のやっていることに点数がつけられて否定されるということは珍しくないです。
実際に査読は半分以上落ちていますし、学振なんて三年出して全部ダメでした。
こう、研究をしている期間が長くなるほど、自分の仕事内容を批判される・否定される回数も増えるので、次第に批判されても動じなくなってきます。

結果としてD2になった今、ちょっとしたミーティングでの議論や発表での批判コメントくらいでは全くへこたれなくなりました。
査読とかで意味わかんない文句をつけられても「あら、あなたはそう思ったのね」と流せるようになりました。
慣れってのはこわいね。

2. 勉強会や研究報告会で質問するようになった

上に書いた通り、研究をするためには批判が必要です。
これは、自分が批判する側に回らないと他人の研究が前に進まないということでもあります。

自分が研究をしていく中で、批判をもらうことの大切さが痛いほどに分かるようになりました。
なので、研究アイディアが出るような勉強会や報告会といった場では、できる限り発表者に対して質問をするようにしています。
もちろん批判ばかりするというわけでは無くて、発表を通して自分が理解できなかった点を伝えることで、発表者へのフィードバックにしたいとか、それをもとにして議論を盛り上げて参加者の理解を深めたいとか、そういう目的で質問をしています。

あと、これまで自分が発表してきた中で、質問が一件も出ないみたいな悲しい体験もしているので、勉強会をそういう空気にしたくないというのもあります。
こういう時、質問が出ないようなわかりづらい発表をした自分が八割悪いんですが、経験豊富なオーディエンスならなんか一つくらい質問を出せよという気持ちにもなります。
歳を重ねて発表の場を仕切るようになると、そういう発表に対して無理やりにでも質問をひねり出す必要も出てきます。
その練習だと思って、できるだけ発表には質問をするように心がけるようになりました。

3. 英語を話すことに抵抗がなくなった

これは完全に慣れですが、発表に対して質問するようにすると、当然留学生の発表には英語で質問することになります。
あと、論文を読んだり書いたり、留学生とチャットしたり話したり、学会で発表したり、単純に英語をインプット・アウトプットする機会が修士のころに比べて増えました。

慣れないうちは、自分が発した英語一単語ごとに「ああ、時制がズレたことを言ってしまった…」みたいにあとから反省すような気負い方をしてましたが、もうどうでもよくなってます。
なんか文法汚い気がするけど、コミュニケーション取れたからオッケー👌みたいな楽な気持ちで英語が話せるようになりました。
まだまだリスニングもスピーキングも練習が必要ですが、心理的な障壁は一つ乗り越えたので、あとは場数を踏んでどうにかしましょう。

4. 他人の研究を分析できるようになった

研究アイディアを見つけて、実験をして、論文として投稿するというセットを研究の1サイクルとすると、修士のころから数えて3サイクルくらい経験しました。
もちろん実験段階でボツにした研究アイディアはその5倍くらいあるので、研究の失敗も成功もある程度経験できてきています。
おかげさまで、分野では世界的に有名な国際会議に論文を出せたり、自分の名前を英語で検索すると論文がちゃんと出てきたり、それくらいの経験ができています。

ここに来てやっと、他人の研究発表とか実験の状況を客観的に見て、この研究が1サイクル回るためにあとどれくらいのステップがあって、どれくらいの時間がかかるか、うまく論文になるとしてどのレベルの会議に出せるか、というのがなんとなく分かるようになってきました。
博士課程では卒業のために論文を出さないといけないということもあり、1サイクルをどのくらいのペースでやって、どのくらいの粒度で切り分けて、いま何をしないといけないのかを考えて仕事をしなければいけません。
そういう意識を持つ様になったおかげで、かなり研究1サイクルに対する感覚は鍛えられました。

ありがたいことに、今の研究室では修士学生のメンターをさせてもらっているので、そこでも客観的に人の研究を分析する練習ができています。
もちろんメンターというか、共著の研究なので自分もできる限り手助けしなければいけませんが、あくまでも修士の学生さんがメインで研究をしているので、横から見て今どれくらいの場所にいるのかなと見極める練習になっています。
あとはこの肌感覚をもとにして、どうやって学生さんにアドバイスするかとか、どうやって気力を刺激するかとか、どのタイミングでそれらを行うかとか、そういう指導面での技術を勉強していく必要があります。

一つできるようになると次にやるべきことが見えてくる、そういう体験は前に進んでいる感覚があって好きです。

5. 研究室運営を気にするようになった

研究室運営といっても、研究予算とか設備とか共同研究とかについてではないです。
それよりも、自分を含めた学生が効率よく、気分良く研究するためにはどんな研究室の空気づくりをしたらいいんだろうか、といった点を気にするようになりました。

私のような博士課程の学生にとって、研究室は業績を生み出すための職場なので、できる限り自分が働きやすい空間づくりをしたいと考えるのは当然だと思います。
上にも書いた通り、勉強会やミーティングで議論が発生するような空間が一番研究が捗りやすいと考えているので、できるだけみんなが発言しやすい空間を作りたいと思ってます。
あと、論文を投稿するという目標を学士や修士の学生に持ってもらうことで、研究そのものへの意識を高めて議論を生みたいという気持ちもあります。

ただ、こういった空気づくりとか文化づくりというのはめちゃくちゃ難しくて、なかなか上手くいかないなあと感じています。
特に修士や学士の学生に、ガンガン研究してガシガシ論文を投稿しようと強要することはできないので、そこの意識の差をどうやって埋めるといいのかなあと考えています。
自分は大学院大学(修士から入る大学院)で修士課程をやっていたので、修士課程でも論文をガンガン書きたいという空気感の中で勉強していました。
一方で今いる大学院は学部とつながっているので、大学院大学とは空気が全く違います。
そうした意識のギャップをどうやって埋めるかとか、コミュニケーションをどうやって上手くとっていくかとか、教員・スタッフ・学生みんなが手探りでいろいろと試しています。
そういう難しさも、結構楽しいなと思ってます。

おわり

修士課程の学生だった時、博士課程の先輩はみんな化け物に見えてました。
なんでも知ってるし、なんでも教えてくれるし、めちゃくちゃ論文書いてるし、スタッフと知らない概念について議論してるし、絶対に勝てないという強さを見せつけられていました。
いま、自分はそう見られてるんでしょうか。
全くそんな自覚はないですが、たぶんそう思われる瞬間もあるんだと思います。
そういう化け物感が、コミュニケーションを阻害しないように気を付けないといけないなと、つね日頃気にしています。

ここまで文字にして思いましたが、今回書いた内容ってべつに博士課程に限らないですよね。
企業に新卒で入って一つ役職が上がるだけでも同じような意識改革は発生するし、部下との溝は生まれるし、たいていの仕事はアウトプットに対してフィードバックがあるので、みんな年相応に苦労して心臓に毛を生やしてるんだと思います。えらい。
博士課程ってのは別に特殊な空間ではないし、自分みたいな普通の人間も上記のような成長を楽しみながら、もそもそ這いずり回っている場所なんだなと伝われば幸いです。後付けですけど。

あしたはふみさんによる最高の記事です。お楽しみに!

博士課程学生になって変わった意識とか」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 2020/12/14-12/20 | 熊日記

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