最悪ななろう系タイトルから始まったことをお詫び申し上げます。すみませんでした。
博士(工学)になった。
私大文系の四年生だった頃に、「理系修士に進む面白い体験をするし、ちゃんと記録をつけるか」と思い立ち、それ以来毎週記録をつけてきた。それがこのブログ。
あっという間に五年が経った。ものすごく速かった。
この記事では博士課程修了までの学生生活九年間をざっくり振り返ります。
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私について
私大文系学部を卒業後、山奥の大学院で修士(工学)を取得しました。
その後、東京にある大学に進学して、この度、博士(工学)を取得するに至りました。
専門は人工知能とかそのへんのなにかです。
博士(工学)って何?
○○博士って名乗る権利です。
アガサ博士とかオーキド博士と同列に私を語ってください。彼らが博士号を持ってるかは知りませんが。
カッコの中には専門が入ります。
文学とか、教育とか、学術とか、色々選べます。
僕は工学という分野を専門にしていたので、博士(工学)。
ポケモンが専門なら博士(ポケモン)です。
まあ、学生として研究を頑張って世界と戦ったりすると20%くらいの確率で手に入る称号だと思ってください。
博士号取得者は日本に150人に1人くらい居るらしいので、出現確率0.6%のポケモンだと思ってもらってもオッケーです。
海外のビザがちょっと取りやすくなるらしいです。
持ってるとすこーーーしだけ年収が上がるらしいです。
まあこの辺は今後ありがたみを感じるまでは実感しないし、よくわからないです。
なんで理転したの?
もともと僕は英語教諭を目指していたのですが、人間に言葉を教えるより機械に言葉を教える方が楽しいな~と思うようになって、修士から理系に進みました。
もともと言語学で修士課程に進もうと思っていたので、修士進学自体は自分の中で決定事項になっていました。
ただ、ゼミの同期が天才すぎて「こいつには勝てんわ…」と思っていて、この分野は彼にお任せするのが良いだろうなと思い、自分が本当にやりたいことに注力するようにしました。
高校時代は数学がそこそこ得意(といっても偏差値55くらいの公立高校でお山の大将してるレベルでしたが)で、それなのに私大文系に進んだことを若干後悔したまま学部生活を送ってました。
あと、ずっとプログラミングにも興味があって、人工知能関連分野も詳しくなりたいな~と思って独習したりしてました。
こういう「自分が本当にやりたい事」をかき集めて並べてみた結果、じゃあ理系で修士に行けばええやんとなり、奈良の山奥にある理系大学院に行くことに決めたわけです。
たぶん、あのまま言語学で修士に進んでいたら、計算言語学とかをやってる人たちへのコンプレックスをいつまでも抱えたまま、捻くれた人間になっていたと思う。
あと、中学校・高校教諭になる気持ちは大学三年生くらいで消え失せました。
いま現場で学校教諭をしてるあなたは偉い、日本の宝なので心と体を壊さないように頑張ってください。
修士はどうだった?
すごく楽しかった。
奈良にある大学院大学に行ってたんだけど、学生寮とか一人暮らしをしてる人が多かったから、二年間の合宿という感じだった。
夜中まで研究室でわいわい雑談したり、酒を飲んだり、BBQしたり、野球したり、バイクでドライブしたり。
閉鎖的な空間だったけど、自分の専門となる分野を研究するには素晴らしい環境だった。
修士課程では素晴らしい出会いがたくさんあったし、今でも研究の話を一緒にするような人達が多い。
文系から理転して修士に入ってくる人たちも多かったし、僕と同じように言語学や教育に根本的な興味を持ってる人も多かった。
本当に素晴らしい環境だったと思う。
修士課程に関する話は、修士を修了した直後に書いた鮮度の高い記事があるので、詳しくはそちらを参照。
工学分野なら多くの場合、修士課程は二年間で修了することができる。
たとえ別分野からの参入であっても、しっかりと勉強する姿勢があれば論文一本は書いて卒業できると思う。
僕にとって修士課程進学は人生の大きなターニングポイントだったし、他の人達にとってもそうだったと思う。
人生を楽しくしてくれるという意味で、修士課程への進学はオススメする。
迷っているなら、行くと良い。
なんで博士課程に進んだの?
修士課程で研究を終わらせて企業に就職するという選択肢もあったが、その選択はしなかった。
実際に、修士課程の最初の方は、修士で研究を終わらせてエンジニアとして就職するつもりでいた。
逆求人イベントに出たり、インターンに行ったり、そこそこ精力的に就活をしてたほうだと思う。
ただ、修士時代はまだ青く尖ってたので、普通の会社員になるにはちょっと心が狭すぎた。
特に当時インターンのための面接を受けた数社は、人事がめちゃくちゃ学生を見下した態度をとっていて、「どの会社もこんな感じなのか〜」と早合点してしまっていた。
他にも、AI人材候補という肩書だけで猛烈アタックしてくる人事の人がいたりと、あまり気持ちの良い就活体験がなかったため、どんどん就職から気持ちが離れていった。
修士一年の終わり頃にもなると、完全に博士進学の気持ちになっていた。
基本的に目立ちたがりな性格なので、「何者かになりたい」という気持ちが強くあった。
一般人が世界に名前を残す手段として、論文を書く・博士号を取るというのは、現実的な路線だった。
あとは単純に、博士号というものに対する憧れが強く、仮に修士卒で就職したとしても社会人博士はやろうと思っていた。
どうせ後から博士課程をやるくらいなら、若くて元気なうちに駆け抜けてしまったほうが良いだろうと判断した。
そんなわけで、その後いくつかの理由を加味した上で、修士とは異なる大学で博士進学をした。
大学を変えた理由については、決してネガティブなものではない事を申し添えておきます。
博士はどうだった?
めちゃ楽しかったけど、正直言ってしんどかった。
修士とは違って、誰にでも「博士はいいぞ」とか「D進(博士課程に進むこと)しなよ」と言うようなことはできない。
博士課程の三年間で脱落した人もたくさん見たし、音信不通になった人も知ってる。
博士課程を修了するためには論文が採択される必要があるんだけど、ここに運が絡むので、めちゃくちゃ賢い人でも全然論文が出なかったりする。
一方で、僕みたいに運が良くてどうにかなるケースもある。
修士と違って博士は、こういう確率的な部分がかなり大きいので、誰かに仮に博士進学を勧めたとして、失敗したときの責任が取れない。
というわけで、博士進学について相談されても「自分が進みたければ進めばいい」としか僕は言わない。
博士一年目〜二年目の中盤くらいまでは、博士課程の仲間を作りたいという心細さや、博士課程に在籍しているという気持ちの高まりから「博士はいいぞ」とか「D進しなよ」とか言いがち。
でも博士課程も後半になると、現実が見えてきたり、自分自身が修了するための業績を揃えるのに必死になったりするので、安易にそういう事を言わなくなる。
修士の頃、博士3年目くらいの先輩たちはみんな寡黙で「大人」という印象を受けていたけど、こういう精神的なあれこれを経験したうえで何も言えなくなってたんだなと、今になって分かる。
何が楽しかった?
じゃあ博士課程は楽しくなかったのか?
そんなことはない、めちゃくちゃ楽しかった。
研究室では素晴らしいメンバーに囲まれていたし、充実した共同研究もできた。
特許申請を出すという工学っぽい体験もできた。
コロナのせいで国際学会にはあまり行けなかったけど、研究室内ではたくさんの留学生と交流できた。
だんだんと名前が売れてきて、日本中の研究者と話せるようにもなってきた。
もし修士卒で就職していたら、こういう経験はできなかったと思う。
もちろん就職していたらしていたで別の体験ができていたと思うけど、博士課程での経験はかなり「性に合っていた」。
修士課程時代にやりたいなと思っていた研究が、指導教員やメンター、共同研究先の研究者の力を借りて現実になっていく過程は、なんとも言えない楽しさがあった。
優秀な研究者に囲まれて博士の研究を進められたのが、一番の幸福だったし、とても楽しい経験だった。
自分の研究が論文になり、英語で世界の研究者に読まれ、たまに内容に関するメールが届く。
個としての自分が世界に繋がっていく実感は、他の職種ではなかなか得難い面白い体験なんじゃなかろうか。
あらゆる職種に「固有の体験」があるように、博士課程には博士課程固有の面白い体験がある。
これは博士課程に進まなければ体験できないことなので、そこに憧れがあるのであれば、博士課程は楽しめると思う。
何がつらかった?
辛いこともたくさんある。
たくさんあるというか。その根源は一つで、「業績が足りないと、ただただつらい」と言うのに尽きる。
多くの大学の博士課程では、修了要件として論文の出版が求められる。
論文を出版するためには査読というプロセスを経る必要がある。
査読は他の研究者に自分の論文を評価してもらうプロセスで、論文の質が悪ければ当然評価は低く、出版が認められない。
ただし、査読する研究者も人間なので、人によって面白いと思うポイントが違う。
そのため、自分の論文を面白いと思ってもらえる研究者に査読してもらえれば、出版OKの評価をもらえる確率が高くなる。
もちろん、査読をしてくれる研究者を選ぶことはできないので、ここは運ということになる。
これが、上述した「運が絡む」部分で、運が悪ければずっと論文は出版されない。
論文が出版されなければ、博士課程を修了できない。
修了できないというプレッシャーは非常に大きくて、博士課程にいる間はずっと禿げる夢を見たり、胃を痛めたたり、突然呼吸が浅くなったり、不眠になったりと、体へのダメージが蓄積していく。
ストレス耐性は人によって大きく変わる部分ではあるけど、誰であれ論文出版に関するストレスはかかり続ける。
これは、隠すことができない博士課程の「つらい部分」に他ならない。
これからどうするの?
企業で研究員をします。
たぶん、今とおなじ分野で研究を続けられると思います。
もし続けられなさそうなら、続けられる会社に移ります。
博士課程の三年間を通して、AIエンジニアとかデータサイエンティストみたいな、いわゆるキラキラAI人材みたいな仕事は向いてないだろうなあと思い至った。
そもそも、プログラミングがあまり好きじゃないことに気づいたのが大きい。
実験をするためのプログラムは、結果が知りたいという動機が強いので気にならないんだけど、特に興味もないツールとかを作るためのプログラミングはかなり苦痛が大きい。
プログラミング自体に興味があるタイプの人なら、作るものは何であれプログラミングできて幸せ!みたいな気持ちも湧くのかもしれないけど、僕はそうじゃなかった。
正直な話、ソフトウェアエンジニアならもうちょっと年収が高い職にもつけたんだけど、年収の魅力以上にプログラミングが嫌いという気持ちが大きく、企業研究員という枠に収まることになった。
こう書くと、ネガティブな理由で研究員になるように見えるかもしれないが、そんなことは無く、研究を続けたいので研究員になる。
数年後、もしかしたら気持ちが変わってエンジニアになってるかもしれないし、何もかもをやめて農家になってるかもしれない。
何が起こるかは分からないけど、まあそれも人生ということでいいんじゃなかろうか。
常に楽しそうな方向に歩いていければ、それは楽しい世界に繋がると思う。
今後ともどうぞよろしくおねがいします。
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