おかげさまで25歳になりました。
皆さんの影響を多分に受けて、今の私が形成されています。
これまでの私の人生に関わってくれたすべての人に感謝しています。
まだまだ博士課程の学生で未熟者ですが、今後も精進しますのでどうぞお付き合いいただければ幸いです。
正直なところ、高校生の僕は大学院生という存在を知りませんでした。
私大文系に志望校を絞った時点で、四大卒でどこかの企業に勤めて、なんとなく結婚しててきとうに引退する未来を思い描いていました。
あと、ついでに音楽も続けられるんだろうなと思ってましたし、いつか音楽で少しだけ有名になればいいなとも思ってました。
そんなわけで、ニュースやインタビューなどでテレビ画面にたまに映し出される「学生(25)」というテロップを見ては「ああ、この人は25歳になってもまだ大学を卒業できてない人なんだな」みたいな印象を抱いていました。
印象を抱くだけならまだしも、当時の友人とこういったテロップを見ては嘲笑するなんて行いもしていました。
そんな僕が、学生(25)になったわけです。
「四半世紀カルテット」という曲が好きです。
だからなんだという話はうまくまとまらないのですが、初めて聞いたときに比べると、このおねーちゃんが歌ってることの意味が分かってきたような、まだわかってないような気がします。
誕生日を境に何か変わるわけでもないのに、こうやって分かったふりをしてみる態度も、この曲は綺麗に歌っていると思います。
『あっという間に四半世紀、理想とは程遠い。』
25歳の理想の自分をはっきりと思い描いたことはありませんが、少なくとも高校生の頃に思い描いていた25歳の自分はもっと音楽を楽しんでいるはずでした。
忙しさを理由に、いつの間にか離れてしまっている自分を認識して、意識して曲を作ったり、楽器を弾いたりしたいです。
博士課程の学生をやっている25歳の自分は、全く思い描いていませんでした。
ありきたりですが、本当に人生は分からんなと感じています。
基本的に、人生の岐路に立たされた時には、それが面白いかどうかでサクッと重要な決断をしてしまうことが多いです。
高校時代は教員になってみたくて教育学部を志望し、学部では英語教育に関わる言語学が楽しそうなので理論言語学に進み、さらに興味が移って自然言語処理をやる現在に至っています。
いずれの選択も間違えたとは思っていませんし、理想とは違いますがおおむね満足な四半世紀です。
この満足も、僕を支えてくれたすべての人のおかげで得られているものです。
今のところは、比較的順当に人生のコマを進めているという認識があります。
それゆえに、どこで歯車が狂うかとおびえている一面があります。
それは弱さでもあり、自分を前に動かす前向きな駆動力でもあると思っています。
ストイックなタイプではないですが、引き続き気合を入れて勉強して、いい仕事ができるように努めてまいります。
25歳の抱負とかを書くつもりはありませんが、これまでお世話になってきた方々に面白いと思ってもらえるような仕事ができればいいなと思っています。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
せっかくキリがいいタイミングなので、もっとポエムを書きたかったのですが思ったよりも筆が乗らなかった。
記念なので例のやつを置いておきます。
ほしいものりすと
「高校生僕「25歳学生…あっ(察し」」への1件のフィードバック